「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」天才柔道家の生涯。

読書
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こんにちは、たどんです。
今回ご紹介するのは、増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」です。
本書は小説ではありません。
著者の18年に及ぶ取材をもとに、天才柔道家木村政彦の生涯を描いた物語です。

木村政彦とは

不世出の天才柔道家で、柔道では全日本選手権を昭和12〜14年、昭和24年、と戦前戦後4回制し、昭和15年には全日本選手権に替わる天覧試合で優勝、昭和25年にプロレスに転向するまで15年間負け無しの男です。
身長170cm、体重85kg、当時としては大柄の部類ですが、バカでかいというほどではありません。
しかし、全盛期の上半身裸の写真を見ると、筋肉隆々でサイボーグのような体をしてます。
1951(昭和26)年にはブラジルにわたり、ブラジリアン柔術の使い手であったエリオ・グレイシーと闘って勝利しています。
若い世代の方でもヒクソン・グレイシーやホイス・グレイシーの父親といえばおわかりになると思います。
得意技は豪快な大外刈り、また寝技も得意で特に関節技の腕絡み(うでがらみ)は「キムラロック」とも呼ばれ恐れられていました。

木村の前に木村なく、木村の後に木村なし

私が柔道をはじめたのは、昭和39年の東京オリンピックより後のことです。
したがって、柔道を始めるまでは木村政彦の名前を知りませんでした。
当時は日本の柔道家よりも、東京オリンピックで優勝したオランダのヘーシンクのほうが知られていたような気がします。
柔道を始めるようになって、「戦前強い柔道家がいた。ヘーシンクなんか問題じゃない。木村の前に木村なく、木村の後に木村なし。」と教えられ、木村政彦の名前を初めて知ったのです。

本書の読みどころ

本書は、原稿用紙1600枚、単行本でも2段組で700ページ近い大作です。
小説のようにサラッと読めるような本ではないので、私も読み終わるまで1週間以上かかりました。

取材の重み

18年という気が遠くなるような取材期間、本書を読むとわかるが本当に数多くの人に直接面談し、資料も膨大なものになったと思います。
著者の執念としか言いようがありません。
本書に書かれた内容も、会話などは多少の著者の創作はあるでしょうが、事実関係は信頼に足ると思います。

力道山との死闘の真実

木村政彦は1993年(平成5年)、力道山は1963年(昭和38年)に亡くなっています。
したがって、当人の口から真実を聞くことはできません。
著者は自身が大学まで柔道をやっていたためでしょう。
本書を読むと、やや木村政彦びいきのように感じられます。
つまり、本当は試合の台本があったのだが、力道山がその台本を無視し、スキを見て木村政彦をボコボコにした、と書きたかったように受け取れます。
本当は木村政彦の方が強かったのだと。

木村政彦はただ強いだけではなかった

木村政彦はかなりお茶目なところもあったようで、木村の憎めない性格を表すエピソードも随所に見られます。
師匠の隣家に他の塾生とともに住んでいた時、塾生の食事を作る当番の際、味噌汁に自分の糞を混ぜた、など読んでいて気持ち悪くなるところもありますので気をつけてください。

木村政彦の圧倒的な練習量、努力

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である、といいます。
練習せずに結果を残すスポーツ選手などいるわけありません。
私は、その練習が嫌いだったのですから、柔道が強くなるはずもありませんでした。
木村政彦の常軌を逸した練習量について書かれています。
例えば、「睡眠時間を3時間にし、睡眠中もイメージトレーニングをしていた。」など、普通の人が真似すれば倒れてしまいます。
まあ、だいぶ話を盛ってあるところもあるのでしょうが、それにしても「天才といえどもこれほどの練習量、練習時間を費やしていたのか」と考えさせられることでしょう。

筆者ならではの迫力ある文章

やはり筆者自ら経験してきた武道だからこそより迫力ある文章が書けるのでしょう。
特に本書のメインである「昭和の巌流島」と言われた力道山との試合。
1954年(昭和29年)に蔵前国技館で行われました。
この試合の映像、今も残っています。
「やっぱり力道山は強かった。」という印象でした。
ところが不思議なことに、本書を読んでからまた映像を見てみると、印象が違ってきます。
YouTubeでいつでも見れますので、本書を読む前と読んだあとに是非試合の映像を見てみてください。

プロレスラーは本当に強いのか

よく「プロレスはショウのようなもの」、言葉を変えれば「プロレスは八百長だ」という人がいます。
プロレスの団体はいくつかあり、どの団体のレスラーも最低でも年間100試合以上は試合があるようです。
つまり3日に1回は試合をしていることになります。
ガチンコ、つまり本気で台本なしで毎回試合をしていたら、プロレスラーがいくら丈夫だとはいえ、体が持ちません。
しかし、プロレスラーというのは、本当に体を鍛えています。
例えば、ヒンズースクワットという運動、プロレスラーはこれを毎日1000回以上、準備運動の一環としてこなします。
私なんぞ50回もやったら次の日から2〜3日は歩けなくなるでしょう。
そして、鍛えているだけではなく、技も磨いています。
トランクス1枚の裸で闘い、殴る蹴るなど何でもありのプロレス。
私は、ルールなしで闘うのであれば、プロレスラーが最強、の筆頭になると思います。

筆者増田俊也

1965年生まれ。
2浪して北海道大学に入学し、柔道部に在籍する。
北海道大学では、寝技中心の「七帝柔道」に励む。
本書「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で、
・第43回大宅壮一ノンフィクション賞
・第11回新潮ドキュメント賞
をダブル受賞しています。
また、著者の他の作品として「七帝柔道記」があり、私はこの本も購入していますが、まだ読んでません。

まとめ

私は、小説でもマンガでも映画でも、スポ根モノが好きです。
また、悲劇は嫌い、ハッピーエンドが好きです。
ネタバレになってしまいますが、本書はハッピーエンドではありません。
なお、木村政彦VS力道山の巌流島の決闘について、試合の映像を見ての私の個人的見解ですが、力道山が途中ブチ切れて台本通りに試合をすすめなかった、と思います。
ただ、二人がガチンコの真剣勝負で闘ったらどちらが強かったか、これについては私にはわかりません。
いずれにしても、18年に及ぶ取材で積み重ねた膨大な新聞等の資料やインタビュー内容をもとに書きあげた本書は「読む価値あり!」です。
 

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