防災の日。過去の地震の記憶をふりかえり、できる限りの備えをしよう❗

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日々の思い
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こんにちは、たどんです。
今回は、防災の日に、地震について考えました。

関東大震災

10万人以上もの犠牲者を出した関東大震災。
2023年の今日(9月1日)で、震災発生から100年となります。

内閣府の報告書によると

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生した。死者・行方不明者数は東京府(当時)や神奈川県など7府県で10万5385人。旧東京市や横浜市では大規模火災が相次ぎ、火災による死者が全体の9割を占めた。全焼・全壊住宅は約29万棟、経済被害は国家予算の4倍に達した。

とのことです。

亡き父の記憶

亡くなったわたしの父は、1913(大正2)年生まれ。
関東大震災当時は10歳で、茨城県猿島郡というどちらかといえば埼玉県よりのところに住んでいたそうです。
今でいうと、JR東北本線、JR湘南新宿ライン、東武日光線が乗り入れている栗橋駅が一番近い駅だったそうです。

生前父から関東大震災のときの話を聞いたことがあります。
都心からはだいぶ離れていたのですが、子供だった父は怖くて、その場にうずくまっていたそうです。

また、地震がおさまって高台に行くと、そこからは東京方面に煙がもくもくと立ち上がっていたのも見えた記憶がある、とのことでした。

関東大震災があった9月1日が「防災の日」とされたのは、昭和35年だそうです。
わたしは東京都内で生まれ育ち、子供心に「防災の日」には、町内会をあげてバケツリレーなどの震災訓練をしたことを覚えています。

阪神・淡路大震災

父の話や震災訓練の影響でしょう。
わたしは地震というものに大きな恐怖心を抱いています。

1995(平成7)年1月17日の朝方に発生した阪神・淡路大震災。
当時はもう今の埼玉県内に住んでいましたが、わたし達には揺れ等はほとんど感じませんでした。
しかしテレビで見た、高速道路がペシャンと崩れたリアルタイムの映像、恐ろしかった。

東日本大震災

また、2011(平成23)年3月11日の午後に発生した東日本大震災。
発生当時、わたしは都内で仕事をしていましたが、立っていられないほどの揺れを感じ、近くの高いビルがユラユラ揺れているのを見て、これまた恐怖以外のなにものでもありませんでした。
東京寄りの埼玉県内に住んでいる妻にすぐ電話したところ、幸いなことにすぐつながりました。

マンションの揺れはひどく、ほとんどの住人がマンションの外に出てきたそうで、エレベーターもストップ。
怖かったようです。

その日は金曜日。
夕方の帰宅時間になっても鉄道などは全面ストップ状態で、仕事場のビルの窓から下を見ると、道路は車と人であふれていました。
車は渋滞でほとんど動きません。
その横の歩道を、徒歩で帰宅する長い人の列が続きます。
あの異様な光景は忘れることができません。

さて、わたしはというと、夜中の12時近くになって地下鉄が動き始めたので帰ることに。
地下鉄は、朝のラッシュどころではない、超・超・超満員でした。
なんとか家にたどり着いたときには日付が変わってました。

まとめ

昔から、この世で怖いものを順に並べると
地震・雷・火事・オヤジ
と言われ、地震が筆頭にあげられています。

いくら科学が発達しても、人間の力ではどうしようもない地震。
過去の天災で亡くなられた方に哀悼の意を表し、まさかのときに備えての防災グッズを点検し、あとは運を天に任せて、少しでも楽しく人生を送っていきたいと思います。

 

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